今更聞けない!バルト3国はどう違う?共通点は?

まずはバルト3国の位置を見てみよう

バルト3国の名前を聞いたことがあっても、どこにあるかよくわからない…

そんな人も多いのではないでしょうか?

ここで確認しておきましょう。

 

バルト三国は、ざっくりいうとロシアの西隣、ヨーロッパの中でも東側にあります。

ヨーロッパの中での位置関係は上の白地図のようになっています。

バルト3国は、北から、エストニア、ラトビア、リトアニアとなっています。

周りを、バルト海、ロシア、ベラルーシ、ポーランドに囲まれています。

 

一括りにされているけれど…

エストニア、ラトビア、リトアニアは、「バルト3国」と呼ばれ似たようなイメージがあります。

しかし、「似たような国々」というのは大きな誤解です

民族も言語も、歩んできた歴史もかなり異なる国々だからです。

その中でも特に大きな違いを紹介していきます。

 

民族・公用語

3つの国には、ロシア系やポーランド系など周りの国からの移民も住んでいます。

ここでは、主な民族と公用語をまとめてみました。

 

エストニア:エストニア人・エストニア語(ウラル語族)

ラトビア:ラトビア人・ラトビア語(インド・ヨーロッパ語族)

リトアニア:リトアニア人・リトアニア語(インド・ヨーロッパ語族)

 

このうち、特に異なるのが、ウラル語族のエストニアです。

ラトビアとリトアニアは、ドイツ語やフランス語といったヨーロッパの言語の大半と同じ、インド・ヨーロッパ語族に属します。

しかしエストニアの属するウラル語族はそれらと全く違う言語です。

ウラル語族は他に、フィンランド語やハンガリー語などがあります。

因みにいうと、北欧5か国の中でフィンランドだけ異なる民族・語族です。

 

宗教

バルト3国の現在の宗教は、どこもキリスト教です。

しかし国によって宗派が異なります。

 

エストニア:プロテスタント

ラトビア:プロテスタント

リトアニア:カトリック

 

リトアニアのみカトリックを信仰しています。

これは各国の歴史が関係しています。

 

エストニアとラトビアは近代まで他国による支配が続いており、初めて独立を果たしたのは1918年のことでした。

 

しかしリトアニアは中世にポーランドと合同王朝を作りました。

当時ポーランドがカトリックを信仰していたため、リトアニアもカトリックに改宗したのです。

しかしリトアニアには元々自然崇拝があり、現在も各所にその名残が残されています。

 

では何故一括りにされるのか?3国の共通点とは?

民族も言語も、宗教も歴史も異なるバルト3国。

何故そんなバラバラの国々が一括りにされて呼ばれているのでしょうか?

実は、この3国には歴史において共通点があるのです。

それは、「近代の独立時期が同じである」ということです。

 

バルト3国は、現在のロシアの支配下に2度入りそして独立しました。

最初の独立は、1918年のロシア帝国からの独立でした。

ロシアの統治が緩やかになったことにより各国で民族運動がおき、1917年におきたロシア革命の影響もあり、3国は独立しました。

 

しかし1940年、第二次世界大戦が始まると3国は当時のソ連に併合されてしまいます。

それからソ連の中の社会主義共和国となって3国はソ連の支配をうけます。

3国が再び独立を果たしたのは、ソ連が崩壊する直前の1991年でした。

 

この時の独立運動として3国合同で行われたのが「バルトの道」です。

これは、約200万人が手をつなぎ、エストニアの首都タリンからリトアニアの首都ヴィリニュスまでおよそ600㎞にも及ぶ人間の鎖を作るというデモ活動でした。

 

これらの近代の出来事のイメージが強いせいか、バルト3国としてまとまって呼ばれがちなのです。

 

 

いかがでしたか?

今回はバルト3国の違いと繋がりに関して紹介しました。

是非参考にしてくださいね!

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