リトアニアといえば何を思い浮かべますか?
ツェペリナイ、琥珀、十字架の丘…
いろいろありますね。
中でも、森はリトアニアを語る上で欠かせない存在です。
今回は、そんな森とリトアニアの関係について紹介します。
リトアニアでの緑の身近さ
リトアニアの国土は、どのくらい森が占めていると思いますか?
実に国土の3分の1が緑に覆われているのです。
因みに農地も合わせると割合は98%にのぼります。
地方にはのどかな田園風景が広がっているのは勿論、
都市部でも身近なところに緑があります。
街の中心部から20分も歩けば森が広がっているため、
人々はすぐに森に歩いていくことができます。
因みに、オリンピックやパラリンピックでのリトアニアのユニフォームも、
緑色が使われることが多いです。
リトアニア人の森との付き合い
リトアニアではすぐに森に行くことができるため、
当然緑に触れる時間も多くなります。
森に行く目的は様々で、季節によっても違います。
森林浴にいくのは勿論、ピクニックをしたり、
森でしか採れない食べ物を採ったりします。
初夏にはブルーベリー、秋にはキノコを採ります。
すぐに食べるほかに、ベリーはジャムにして保存したりもします。
夏至祭も森の中で行われます。
夏至祭は、一年で最も日が長い季節つまり夏至の頃に行われるお祭りです。
今から約5000~6000年前から行われており、
自然災害から作物を守ってほしいという願いが込められています。
夏至祭では、未婚の女性が森に生えているハーブを摘んで花冠を作ります。
歴史における、森との関係
森は、リトアニアの歴史上でも重要な役割を果たしてきました。
1つは国を他国の信仰から守る盾の役割、もう1つは人々を守る盾の役割です。
森が人々を守る盾の役割を担った歴史上の事例を1つ紹介します。
森の兄弟
「森の兄弟」とは、第二次世界大戦中とその後の約10年にわたり森に逃亡し、
ソ連軍からの強制動員に抵抗した人々のことです。
彼らの中には富裕層や知識人が多くいました。
リトアニア含むバルト三国は、1940年にソ連に占領されます。
その後、1941年6月、独ソ不可侵条約を破ったナチス・ドイツ軍が侵攻してきました
(これをバルバロッサ作戦といいます。)。
バルト三国はナチス・ドイツが自らの独立を回復させてくれると考えました。
ラトビアとエストニアの人々は共にソ連と闘い、
リトアニアの人々もソ連に立ち向かいました。
しかしソ連が優勢になるとバルト三国の再占領を始め、
現地で徴兵を行うようになりました。
リトアニア人でこの徴兵に抵抗したのが、「森の兄弟」なのです。
森は、抵抗し逃亡する人々の隠れ蓑の役割を果たしていました。
チュルリョーニスの絵にも描かれている
リトアニアを代表する芸術家チュルリョーニスの絵にも森が登場します。
彼の絵は神話や音楽などリトアニアの伝統的なものを題材としています。
そのため、彼の絵からはリトアニアの文化がどんなものであるかが読み取れます。
彼の曲にも、森に降る雨を連想させる曲があります。
彼の作品のモチーフとして頻繁に登場することから、
森はリトアニアの文化を象徴するものだといえます。
いかがでしたか?
今回は、リトアニアを語る上で欠かせない「森」の存在について紹介しました。
是非参考にしてくださいね!
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