フィンランドのエストニアがどういう関係にあるか気になりますよね。
そこで、両国は本当につながりがあるのが、どんなつながりなのか紹介します!!
フィンランドとエストニアの共通点
これらの国の共通点は、言語です。
両国ともにウラル語族のフィン・ウゴル語派に属します。
因みにウラル語族はロシア中部のウラル山脈付近で話される言葉に多く、ヨーロッパの中では少数派の言語です。
共通点の話からは離れますが、バルト海を挟んで向かい合っているという地理的近さも、フィンランドとエストニアの繋がりに寄与しています。
両国の繋がりの歴史
フィンランドとエストニアの繋がりは、これまで、フィンランドが「兄」でエストニアが「弟」という「兄弟関係」にたとえられてきました。
両国がどのような関係であったのか紹介します。
両国の独立まで
「兄弟思想」が生まれたのは、両国の自民族意識が高まってきた1860~70年代だといわれています。
当時からフィンランドが「兄」、エストニアが「弟」、つまりフィンランドが一歩先をリードするという関係性でした。
このような思想が表面化する前の1800年代よりも前から、知識人の間では同じような思想があったようです。
理由は、フィンランド東部に住むカレリア人がエストニア人と言語面で類似点をもつからです。
フィンランドの知識人は、「自分たちを支配しているロシアからカレリアとエストニアを守らなければならない」という意識をもっていました。
両国独立後
第一次世界大戦を経て両国が独立した後は、しばらく両国の兄弟思想は忘れられていました。
冷戦中
第二次世界大戦でエストニアがソ連に占領されたあとも、フィンランドとの交流は文化面で続いていました。
フィンランド側は、亡命してきたエストニア人を通して東側の情報を手に入れたり、エストニア文学の翻訳をおこなったりしていました。
一方エストニア側は、フィンランドのテレビ放送を観ることができました。テレビ放送を通して西側の情報を得ていました。
政治的な面でも、1964年にフィンランドのケッコネン大統領がエストニアを訪問し、タルト大学でエストニア語での講演を行いました。
また、両国の首都であるヘルシンキ・タリン間のフェリーが開通しました。
エストニア再独立時
1980年代エストニアの再独立運動がおこった時も、フィンランド政府は非公式でありながらも独立を支持していました。
しかしエストニアの支配国ソ連の存在もあり、公式ではソ連の政策を支持していました。
1992年にエストニアが再独立を果たすと、外交関係が再開されました。
現在
エストニア再独立後も、人口や経済規模の面から「兄弟思想」が続いていました。
しかし現在両国は経済面で重要なつながりがあります。
例えば、フィンランドはエストニアにとって最大の輸出相手国です(2012年現在)。
フィンランドからの投資額は、スウェーデンに次ぐ世界第2位です。
また、エストニアはIT産業を中心に大きく発展しています。
「兄弟関係」を脱却し、対等な経済パートナーに移行しつつあります。
まとめ
今回の情報をまとめてみると…
・フィンランドとエストニアは言語に共通点がある
・両国の繋がりは「兄弟思想」が続いていた
・現在は経済面での重要なパートナー
いかがでしたか?
今回はフィンランドとエストニアの関係性について紹介しました。
是非参考にしてくださいね!
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