エストニアでは合唱が盛んなことをご存じでしょうか?
歴史的背景や言語学上の観点から、合唱はエストニアについて知るのに不可欠な存在なのです。
どれだけ人々と密接な関係があるのか?
どうして合唱が盛んなのか?
エストニアと合唱の関係性について紹介します。
合唱がどれくらい身近なのか
エストニアでは、子どもからお年寄りまで実に幅広い年代の人達が合唱に親しんでいます。
エストニアの合唱人口は、約42,000人です(2012年当時)。
生活や健康上の問題で合唱団を辞めた人も入れると、336,000人にものぼるといわれています。
2012年当時のエストニアの人口は約1,320,000人なので、国民の約4分の1が何らかの形で合唱に関わっているといえます。
歌と踊りの祭典
「歌と踊りの祭典」とは、エストニア最大の合唱祭です。
首都タリンの郊外にある「歌謡祭広場」というところで5年に1度開催されます。
全国から選ばれた約20,000人の合唱団員が歌い、国内外から約200,000人の観客がやってきます。
開催期間中は街の至る所でコンサートやライブが開かれています。
最初は1869年にタルトで始まりました。
なんと、今年2019年は祭典が開催される年にあたります!
歌う革命
「歌う革命」とは、1988年に行われた、独立回復を求めるスローガンを掲げて伝統的なエストニア語の曲を合唱したデモのことです。
歌と踊りの祭典の会場で行われました。
ロシア帝国の支配下にあった頃、エストニア語での合唱を通して民族主義の機運が高まりました。
ソ連からの独立の際も、エストニア語での合唱で民族が団結し、血を流さずに独立を回復することができたのです。
合唱曲の特徴
様々な国の影響
エストニアの代表的な合唱曲には、近隣諸国の影響がみられます。
エストニアで合唱が始まった当時、長年近隣諸国に支配されていたからです。
例えば、中世から19世紀にかけて支配していたドイツの影響や、それ以降の時代に支配していたロシア帝国の影響がみられます。
また、職業音楽家達が留学し得た知識や技術を作曲に活かしたことも理由として考えられます。
いかがでしたか?
今回はエストニアと合唱の関係性について紹介しました。
是非役立ててくださいね!
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