チュルリョーニスをご存じですか?
フルネームはミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスです。
言いにくい名前ですね。
もちろんチュリニョーニスの作品は数も多く、光の表現がとても印象的です。 pic.twitter.com/IsRheRecc8
— リトアニア政府観光局 (@Lithuaniajp) January 7, 2018
左側の画像が彼の肖像画で、右側の画像が彼の作品の一部です。
彼は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した、リトアニアを代表する画家兼作曲家です。
自然や民間伝承をモチーフにした曲や絵画など、リトアニアの文化を表す作品を多数残しています。
今回は、リトアニアの芸術を語る上で欠かせない彼について紹介していきたいと思います。
チュルリョーニスの一生
生い立ち
彼は1875年、オルガニストの家の長男として生まれました。
ピアノの手ほどきを父から受けていた彼は公爵に才能を認められ、支援されて入った音楽学校を優秀な成績で卒業します。
画家としての活躍
その後はライプツィヒ音楽院に入ります。
卒業後はピアノを教えて生計を立てながら、ワルシャワ芸術学校で絵画の勉強を始めます。
リトアニアの文化について広めるために展覧会を開いたり、リトアニア芸術協会を設立したりしました。
サンクトペテルブルクに引っ越した後は芸術家たちと交流もしていました。しかし経済的に困窮したり、精神異常をきたしたりしました。
晩年
1909年に彼は作家のソフィヤ・キマンタイテ・チュルリョニエネと結婚します。闘病生活を送りながら作家活動を続けていましたが、肺炎も発症し、1911年に36歳の若さで亡くなりました。
何故彼がリトアニア芸術の象徴なのか?
彼がリトアニアを代表する芸術家となっているのは、2つ理由があります。
1つは彼の作品の世界観、もう1つは彼の生きた時代が関係しています。
リトアニア文化を表す作品の世界観
彼の描いた絵画には太陽、植物、山など、自然をモチーフに取り入れた幻想的な作品が多いです。
また、彼の遺した曲にも、森に降る雨を想わせるメロディがちりばめられています。
リトアニアは現在カトリックの国ですが、古来から自然崇拝の意識が根強く残っており、自然が身近な存在なのです。
そして、絵画には民間伝承に出てくる王や城などといったモチーフも使われています。
チュルリョーニスの作品からはリトアニアの信仰を読み取ることができるのです。
彼の生きた時代
彼が生きた時代は、19世紀末から20世紀初頭、つまりリトアニアがロシアから独立する直前の時代です。
この頃、リトアニアを支配していたロシア帝国からの統制が緩み、古来からのリトアニア文化復興の動きが高まってきていました。
チュルリョーニスも協会を設立し、各地の民謡や民具を集めて紹介するなど、その動きに加担しました。この流れが、のちにリトアニア独立に繋がったのです。
リトアニアでは現在、合唱や音楽、絵画など国を挙げて文化振興を行っています。
また、首都ヴィリニュスの中には、芸術家達が集まって暮らすウジュピス共和国が存在します。
リトアニアには、チュルリョーニスの活動の名残が今も残っているのです。
いかがでしたか?
今回はリトアニアの芸術家チュルリョーニスについて紹介しました。
これを機にリトアニアへの理解を深めていってくださいね!
最近のコメント